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泣きながら生きて
今日、さっきフジテレビで「泣きながら生きて」という日本放送文化大賞 テレビ部門グランプリなんていう、すごい賞?もとったドキュメンタリー見ました。あんまりTV見ないのですがね。事実上、文字通り泣きながら見ました! 
中国人(上海在住)の家族の話で上海(母)、東京(父)、ニューヨーク(娘) … 3 ヵ所へ散っていった 3 人家族のそれぞれの生活を10 年間も取材記録したらしいです。家族の本当のきずなとは何かをテーマにしてます。1989年、父の中国人男性が上海から日本へ渡ってきた。丁 尚彪(てい しょうひょう)さん。上海の街角で、とある日本語学校のパンフレットを目にした。こには入学金と半年分の授業料、合わせて42万円と書かれてあった。それは、中国では夫婦二人が15年間働き続けなくては得ることのできない多額のお金。知り合いに頼み込んで借金をし、その年の6月、当時35歳だった丁さんは日本へと渡ってきたのだった。丁さんは、文化大革命の中で育ち、学びたくても学ぶことのできない時代を生きてきた。日本語学校で学んだ後は、日本の大学へ進学することを目指していた。中国にいては果たすことのできない人生の再出発に賭けていたのだ。
これが北海道阿寒町の日本語学校。しかし、丁さんが目指した日本語学校のあった場所は、北海道のヘンピな阿寒町で過疎化が進む町なので働きながら借金を返して勉強をしていくつもりが、借金を返すどころか仕事すらない!。炭鉱で栄えたこの町は、過疎化を打開したいという町の事情と思惑から、町民のかわりに中国人を入れればいい、と日本語学校が誘致されたのだ。こりゃ無理があるわなー
それでも、丁さんは借金を返さなければならない。このまま上海へ帰るわけにはいかなかった。覚悟して阿寒町を脱出し東京へ。しかし入国管理局は、“阿寒脱出者”にビザの更新を認めなかった。丁さんは、やむなく不法滞在者の身となってしまう。しかし不法滞在者になっても借金は返さなければならない。帰国したら再入国はできないため、東京で必死に働き続けた。そして再出発への希望が消えた丁さんは、自分が果たすことのできない夢を一人娘に託そうと決意する。娘を何としても海外の一流大学へ留学させたい。見つかれば即座に強制送還という身でありながら、借金を返し終えた後も、丁さんは東京で働き続けた。働いたお金はすべて上海の妻子へと送金していた。普通ならできんねえ
日本の中華料理屋で働いてお金を稼いで、そのお金を全部、上海の奥さんに送っていた。奥さんは上海で働いて生活費を稼いでいた。送金されていたお金は娘の、外国留学の費用に貯金していた。ニューヨーク州立大学。医学の道に進むのです。娘も父が日本で帰りたくても家族のためにがんばっているのを見て、父が自分たちのためにしているのを知り涙するのです。この番組、全編に渡ってよく泣きます。最近、涙腺が緩いでいかんてーこおゆーの。娘もがんばってるね。奥さんも20年間、一人でよくやってるなあ。旦那さん信じて。(ちょっと不信感もあったようですが。そりゃそーだろね)
この番組みて、僕らはここまで一生懸命生きているか、と自問してしまいました。このように自問するということは、全然ダメと瞬間的に感じているのでしょうね。丁さんの 国の指導者は国を良くするために親は子どもを育てるために懸命に生きる努力しなければならないという言葉に感動しました。日本人が失ってしまった“心”“感謝”するというのを再確認させられました。親に感謝しているか。友達にはどうか。
最後に、中国に帰国される時に、手を合わせていたのが印象的でした。こういう風に生き様を観て、その人が「人間て捨てたものじゃない」と発することができる、ってすごいです。僕も毎日すさみながら働いていますが、まだまだだなあと感じました。写真や鉄道、模型なのど趣味ばかりでは、比較にもならないですね。少しでも考えたことありますか。今が良けりゃいいって言い続けるのはねえ。反省です。変わらんとねえー生きき方について考えさせられて、また泣いたです。
カテゴリ:日記 | 23:30 | comments(0) | trackbacks(1)
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「泣きながら生きて」を観て
とくダネのオープニングトークで小倉の番宣にまんまとひっかかった。 今日、夜9時からのドキュメント番組「泣きながら生きて」を見入ってしまった。 観ていない人のために、内容を書きとめておく。 それは35歳で一念発起、上海から日本語学校に留学した1人の男
| かきなぐりプレス | 2006/11/04 1:17 AM |